・映画の要約
『ザ・ピックアップ ~恋の強盗大作戦~』は、2025年に配信開始となったアクション・クライム・コメディ。監督はティム・ストーリー。現金輸送車のベテラン警備員ラッセル(エディ・マーフィ)が、能天気で憎めない新人相棒トラヴィス(ピート・デヴィッドソン)とともに“いつもの現金回収”に向かった矢先、正体不明の武装グループに襲われ、気づけば巨大カジノを舞台にした“恋”と“強盗”の二重遭遇へ巻き込まれていく。鍵を握るのは、狡猾で魅力的な強盗リーダーゾーイ(キキ・パーマー)。彼女が投げかける「甘い誘い」と「冷酷な脅し」の狭間で、ラッセルは結婚25周年を迎える妻ナタリー(エヴァ・ロンゴリア)との平穏を守るべきか、罪を犯してでも家族を救うべきか、苦渋の選択を迫られる。
映画は、“良き父であり良き夫でいたい男”が、犯罪計画の歯車にされる恐怖を、軽妙なバディコメディのリズムと、テンポの良い犯罪劇の構図で包み直す。追走、潜入、誤算、裏切り、駆け引き、そして最後の一押し。王道のパーツが次々に噛み合い、**“悪い大人の遊園地”**に連れ込まれるような快感を作る一本だ。
・映画の時間
約100分
・ネタバレ(起承転結)
起:祝宴と襲撃

ラッセルは、四半世紀を共にした妻ナタリーとの結婚25周年ディナーの段取りに余念がない。新人のトラヴィスは、初仕事の高揚感で空回り気味。そんな二人に、出だしから不穏な影が落ちる。現金輸送ルートを狙いすました武装犯が襲来、銃声とタイヤスモークの交錯。だがこれは、より大きな計画へ二人を誘い込むための**“アラーム”**にすぎなかった。
承:誘拐と取引
ラッセルの携帯に届く映像。ナタリーの姿。無機質な声は告げる――「協力しろ。でなければ妻は戻らない」。現れたのは、ゾーイ。冷えた知性と軽やかな所作を纏い、彼女はカジノの内部システム、現金搬送スケジュール、VIP動線まで、綿密に読み切った計画を提示する。ラッセルは「家族を守るため」という大義名分のもと、犯罪の共犯者として踏み出す。トラヴィスはゾーイに半ば魅了され、半ば疑いながら、“映画で観たことのある完璧な計画”の現場に足を踏み入れる。
転:割れる足並み、捩れる恋
準備は進む。偽造ID、監視の盲点、ディーラーの交代、運搬口の温度センサー、警備交替のわずかなラグ。だが、計画は人間の揺らぎで崩れる。トラヴィスの**“好意”は、ゾーイにとって計算外のノイズ。ラッセルは家族写真を胸ポケットで握りしめ、判断を迷う。そしてカジノ最奥、カウントルームの手前で生じた十数秒の遅延が、連鎖的に警備網を活性化させてしまう。銃声。非常灯。閃光。悲鳴。“完璧な計画”が軋み、「俺たちはここまでだ」**という現実が顔を出す。
結:それでも拾い上げる

逃走用のサービス通路、駐車棟のカーブ、スパイクベルト、ドローンの追尾。逃げ切れない逃走の中で、ラッセルは一瞬の賭けに出る。“金か、妻か”。潔く手放すものを選んだ男の決断が、ゾーイの計算すらわずかに狂わせる。結果、強奪の成否は**「額面の勝ち」ではなく**、それぞれが何を守れたかという**“心の収支”へと転化する。傷だらけで戻ったラッセルは、ナタリーの前でようやく息を吐く。トラヴィスは、ゾーイの背中をもう追わない**ことを学ぶ。ラストショットは、**拾い上げた“つながり”**を暗示しつつ、観客にささやかな余韻を残して幕を閉じる。
・この映画と似ている映画
- 『アウト・オブ・サイト』:犯罪と恋の駆け引きを、洒脱な会話とリズムで魅せる“色気のある強盗劇”。
- 『ベイビー・ドライバー』:サウンドと走りで押し切る疾走型クライム、プロ同士の間合いが醍醐味。
- 『オーシャンズ11』:仲間と役割と“絵作り”で観客を騙す、設計の快楽に満ちたケイパー王道。
・この映画を見れるサービス
※配信状況は変更になる可能性があります。
総評
暴力と恋心、金庫の数値と人の鼓動。
この映画が狙うのは、“犯罪の手触り”と“人の温度”の同居だ。私はまず、ラッセルという男の温度に惹かれた。エディ・マーフィは、往年の“前へ出る笑い”を封印し、受けの芝居で芯の強さと情の深さを立ち上げる。つねに目は泳がず、言葉は最小限、状況の荒波の中でも**「家族を守る」一点で判断を積む。ヒーローなどではない。“生活者の勇気”である。私が50歳の評論家としてスクリーンに求めるのは、派手な爆炎の奥に生活の呼吸**があるかどうかで、その意味でマーフィの佇まいは十分に胸に響く。
対して、キキ・パーマーのゾーイは、近年のクライム映画における**“新しい危険のかたち”を体現する。軽さと速さ、甘さと冷たさ、目的と衝動。笑顔の角度、視線の遊び、間の伸ばし――“この人を信じたい”という欲と、“信じてはいけない”という理性の綱引きを、観客の体に移す。彼女が発する台詞の一部は、後半になるほど“真実の断片”として作用し、計画の綻びとともに人間の本音が露出する。私にとって、ゾーイは犯罪そのものが持つ色気と孤独**の象徴に映った。
ピート・デヴィッドソンのトラヴィスは、映画の“心拍数”を調整する重要なピースである。笑いのビートで緊張を緩め、若さ特有の無鉄砲さで事態を悪化させ、しかし最後は**“見て見ぬふりをやめる”**。彼の一歩分の成長が、映画を安易な“スカッと犯罪譚”にせず、自責と学習を刻む。観客が彼に苛立ちを覚えるほど、終盤の選択は効く。
演出は、ティム・ストーリーらしいテンポの良い編集と音楽のノリで進む。特に、**“カウントルームまでのルート設計”を見せる中盤のモンタージュは気持ち良い。監視カメラの死角、スタッフ動線のスイッチング、ディーラーの休憩ログ、搬送時間の±30秒――“空間と時間を盗む”というケイパーの醍醐味を、分かりやすくも軽くしすぎない筆致で描く。銃撃や追走の振り幅も、配信映画としては手堅く、“見せ場の数”**はきっちりと数えられる。
それでも、本作には確かに弱点がある。物語の重心が家族救出と金庫破りで二分されるため、どちらも深掘りし切れない瞬間があるのだ。とりわけ、悪役側の動機の厚み、作戦が崩れ始める因果の積み方、ゾーイの過去の影など、あと一段の陰影があれば、感情の沈み込みはより深かったはずだ。また、アクションの一部は編集の速さに頼り、痛みの持続を観客の体に残し切れていない場面も見受けられる。私は、犯罪映画こそ**“何を失ったか”**を映すべきだと考えるので、そこは次の課題にしてほしい。
それでも、私が最も心を動かされたのは、ラッセルの手だ。金庫の番号盤に触れる指、家族写真を握る拳、相棒の肩を押し戻す掌。“拾い上げる”というタイトルのニュアンスは、金を拾うのではなく、“つながりを拾い直す”ことに宿る。クライム・コメディの衣を着ながら、映画は最後に小さな善を拾い、大きな間違いから一歩退く。滑らかに笑って、ほどよく走って、ふと立ち止まって息を整える。配信の新作が増え続ける今、この適温のエンタメは、週末の夜に確かな価値を持つ。
結論として――完璧ではない。だが、ちゃんと“拾って”終わる。だから私は、少しだけ優しい点数を出したくなる。
・スタッフキャスト
- 監督:ティム・ストーリー
- 脚本:ケビン・バロウズ、マット・ミダー
- 製作:ジョン・デイヴィス、エディ・マーフィ、ティム・ストーリー ほか
- 撮影:ラリー・ブランフォード
- 編集:クレイグ・アルパート
- 音楽:クリストファー・レナーツ
出演
- ラッセル:エディ・マーフィ
- トラヴィス:ピート・デヴィッドソン
- ゾーイ:キキ・パーマー
- ナタリー:エヴァ・ロンゴリア
- ミゲル:イスマエル・クルス・コルドバ
- ジャック:ジャック・ケシー
- ほか:アンドリュー・ダイス・クレイ、マーショーン・リンチ ほか