・映画の要約
2023年に制作、2024年に国際公開された『関心領域(The Zone of Interest)』は、アウシュヴィッツ強制収容所の司令官ルドルフ・ヘスとその妻ヘドヴィヒの家庭生活を通して「悪の日常化」を冷徹に描く歴史ドラマだ。監督はジョナサン・グレイザー、主演はクリスチャン・フリーデル(ヘス)とサンドラ・ヒューラー(ヘドヴィヒ)。彼らが家族として当たり前の日々を送るすぐ隣で、悲惨なホロコーストが進行している――その精神の乖離を、静謐な映像と言葉少なな演出で浮き彫りにする。
監督はあえて「キャンプ内部」には視線を向けず、家族の日常と音響で戦場を想起させる手法を取ることで、見る側に想像力を強く働かせる構造を成立させる。全編105分、静寂と不穏が支配する異様な余韻を残す一本である。
・映画の時間
本作の上映時間は 105分。静かな構成にも関わらずその重みは時間を超越して感じられる。
・ネタバレ(起承転結)

起:静かなる居間
アウシュヴィッツ司令官ヘスの邸宅。ここでは穏やかな朝食の時間が流れる。ヘスは戦場へ、妻ヘドヴィヒは庭で子供たちと過ごす。何気ない家族の時間が、キャンプの壁を隔てて同時進行する異様さに観客はまず息を飲む。
承:庭と収容所の音
庭先で子供たちが遊ぶ声。鶏が鳴き、芝刈り機の音。だがその背後で、重低音の鼓動が近隣から聞こえ、ドアの向こうからは絶え間ない叫びやガス室の音が響く。家族の笑いと大量虐殺の声が意図的に交錯し、背筋が凍る。
転:無関心の日常
ヘス夫妻の日常は淡々と続く。家でのランチ、社交的な接待、園芸。妻は裁縫に勤しみ、夫は健康を気遣う。彼らの生活は、背後に起こる「非人道的な出来事」と完全に切り離され、「見ようとしない精神の傲慢」に支配されていることが露わになる。
結:静寂と引き返せぬ罪
終盤、夜が訪れる中、庭を映す静止したカメラが、ただ風で揺れる木の葉と遠くのあの声を捉え続ける。音声だけがその庭からの距離を想起させ、映像と言葉は沈黙のまま終幕。画面は暗転し、観客は「知らぬふり」を選んだ人間の罪に静かに引き寄せられる。
・この映画と似ている映画
- 『夜と霧』(1955):ホロコーストの現実を淡々と証言するモノクロ記録映画。
- 『キャタピラー』(2012):加害者家族の日常を通じて戦争の矛盾を浮き彫りにする人間ドラマ。
- 『アンダー・ザ・スキン』(2013):外は静謐、中に潜む別世界という構造が共鳴する実験作。
・この映画を見れるサービス
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・総評
『関心領域』は、ホロコーストを扱う映画としては、最も極限に挑む覚悟を持った作品である。敢えて現場を見せず、日常の反対側で制御不能の暴虐が進行している静かな家族の余白を通して、観る者に「知っているのに見ない」欺瞞を突きつける。この視点は、ホロコースト経験を直接描かずとも、それを許容してしまう日常の罪を浮き彫りにさせ、初見からは静かな衝撃が胸にしっかりと刻まれる。
クリスチャン・フリーデルとサンドラ・ヒューラーは、言葉ではなく「動かない視線」で今日の私たちを見つめる。このパフォーマンスは、単なる演技ではなく日常の恐怖を帯びた沈黙であり、その間(はざま)に観客は疑問と葛藤に立ち止められる。監督ジョナサン・グレイザーは、数々のカメラを家中に贖罪のように設置し、編集を通じて家族の生活を「異物として観察する宇宙船乗組員」のように扱う。音声を「もうひとつの映画」と念頭に置く演出は、画面と音の乖離を通して、見る者自身の想像力と倫理を鋭く揺さぶる。
だが、本作には確かに“静的な一定のリズム”がある。画面が動かず、場面の進行も少ない。その単調さが、一部観客には「緩慢」や「退屈」と映ることもあるだろう。しかし、この“静けさの密度”こそがテーマを支える肝であり、「日常という土壌に潜む罪」を深く刻むために不可欠な構造だと、私は理解する。
視聴後に残るのは、誰もいない庭に響く“あの声”のような残響である。非=視覚の暴力が心を蝕む、刹那の余韻。現代社会においても、知らぬふりをする日常が各地で進行している今、『関心領域』はその「自分事化」を強く促す。映画だからこそ、静かに、しかし確実に、胸の中央を突く――それがこの作品の本質だと思う。
・スタッフキャスト
- 監督/脚本:ジョナサン・グレイザー
- 原作:マーティン・エイミス(小説『The Zone of Interest』より)
- 撮影:ウカシュ・ジャール
- 編集:ポール・ワッツ
- 音楽:ミカ・レヴィ
出演
- ルドルフ・ヘス:クリスチャン・フリーデル
- ヘドヴィヒ・ヘス:サンドラ・ヒューラー
- 子供たち(7〜10歳くらい):複数名
- その他(司令部の訪問者、園丁、庭師などの端役多数)